激アツの末に
これまでにお金がたまらなかったのはなぜか。
もちろん私が貯めてこなかったからであり、その金の使い方に問題があるあったからに他ならない。
田舎者のくせに、着るものにちょっとこだわってみたり、食いたいものを食いたいときに食いたいだけ食ったり、物に浪費するのはもちろんであったが、最も羽振りをきかせていたのが博打であった。
初めて博打に触れたのはおそらく小学生か中学生。麻雀漫画で麻雀の奥深さを知り、ディープインパクトに競馬のカッコよさを教えてもらったり、博打というものに興味があったわけではないが、面白さを見出していた。
もちろん実際に賭けるなんてことはしなかったが、大きくなったらやってみたい
なんて考えてはいた。
本格的にお金も賭けだしたのは大学生になりお金の管理を自分でするようになってからだった。
麻雀はもちろん競馬や競艇なんてものにもハマったが、大学生活で最も精を出したのがパチスロであった。
出会いは兄貴に連れられて行ったことだった。
いわゆるビギナーズラックなんてものだと思う。
少し勝って調子にのったというありきたりなもの。
しかし、それ以上に刺激的だったのが音楽や映像であり、その日の夜は頭からそれらが離れず寝れなかったのを覚えている。
それ以降、パチスロにどっぷりハマりたくさん勉強した。
当時はパチスロに従事した仕事に就いて稼いで行きたいなんてことも考えていた。
とにかく夢中になって打込んだ。
なんていうと聞こえはいいが、今思えばパチスロに毒された青いカビであった。
しかしパチスロが好きだったのは事実であり、私の人生を語る上でなくてはならないものだと感じている。
いい思いをしたことも悪い思いをしたことも含め、またそれを通じて生まれた出会いもあり、とても良い勉強、経験になったと感じている。
マイナスなイメージが多い業界ではあるが、作られたパチスロの機械達に罪はない。
扱う側の悪徳な店の人間と、歯止めの効かなくなる脳ミソ焼かれた中毒者たちが悪いのである。
ギャンブル擁護するわけではないが、否定するわけでもない。
ただパチスロへの愛はあった。
重症に至ることなく、程よい思い出で済ませてくれたパチスロ達に感謝である。